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2011年10月20日

本当の幸せって?

「人間は、何人といえども、不幸を退け幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、全ては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである」(『原理講論』総序より)





ええ…

それではみなさん、



幸せになりたいですかーーー!!





僕は…




僕は…


幸せになりたいです!!


(読者の諸君!こう書くと筆者が不幸なのでは?と思われるかもしれないが、その限りではない!!)





ここでは

「本当の幸せって?」

というテーマでいろいろと語っていきたいと思います。




全ての営みの動機の根底には、「幸せになりたい!」という、人間の欲望があるわけです。


「欲望」と聞くと、どこか良くないものと捉えがちですね。それは私たちの取り巻く環境が善よりは悪に傾きやすい環境に生きているからだと統一原理では言っています。




メディアからの影響を例に挙げても、



人間の自己中心的な欲望を容認するような、それが人間の本性であるような描写は、アニメや映画のほとんどのものに見受けられます。


高校生や中学生は口をそろえてこう言います。

「それはぼくたちの自由だ!先生はそれをシンガイするんですか!」

校内暴力、学級崩壊、いじめ、犯罪の若年化、性の問題…


学校だけ見ても個人主義の風潮があらわれています。

こういった風潮が彼らのの自己中心的な欲望を煽り、倫理や道徳の破滅をもたらしています。




今や社会にはこうした自己中心的な文化が蔓延しています。




では自己中心的な文化とはどこまでが自己中なんだろうか。

そう考えると、どこまでが自己中なのか線引きできないような気がしてきます。



それゆえにみんな妥協し、妥協し、ずるずると自己中心的な心に引っ張られていくんじゃないでしょうか。


そんな人たちが、お互いの傷をなめ合い、仲間意識という安堵感から形成されるコミュニティーが、自己中心文化の発信源となります。


みんなやってるから…

これはどうすることもできない人間の欲望だから…

人間は結局みんな自己中なんだよ…



だから
仕方がない!






これは恐ろしい考えです。

この考えを思想化すれば殺人や強姦などの大罪まで容認されてしまうと思います。





でもみなさんも少なからずこのような思いが少しでも湧いてきたことはきっとあるはずです。








人間の自己中心性は人間が本来持っている本性なのでしょうか。


仕方のないことなのでしょうか?




それは違うと思います。僕が言わずとも誰しも分かっていることだと思います。自己中心的な人が行く先は破滅しかないということを。





だとすれば人間はどれほど惨めで不幸な存在でしょうか。

この拭おうとしても拭いきれない自己中心的な思いがある限り、私たちは幸福にはなりえないのです。



これを「人間の心の矛盾性」として統一原理で論じています。



「存在する者が、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性を持つようになれば、破壊されざるを得ない。したがって、このような矛盾性を持つようになった人間は、まさに破滅状態に陥っているということができる。」(『原理講論』総序より)







この矛盾性は人が極限状態の時に立たされた時に否応なしに顕著に現れます。


例えばこんな話があります。

お互いに愛し合って長年連れ添った夫婦がいた。ある日その地域が大洪水となって夫婦ともども流されてしまう。ギリギリ岩にしがみついて生きながらえた二人は救助を待ち、とうとう救助用浮き輪が投げ込まれる。しかし、その時は二人とももう限界状況。いつ手を話して流されてしまうか分からない状況です。救助用浮き輪は一人しか乗れない。

その時、夫のとった行動は薄情なものだった。妻の手を振りほどき、自らが助かるがために浮き輪にしがみついたのだった。結局二人は助かったのだが、離婚せざるを得なかった。お互いまだ愛する思いはあれど、その時の光景が頭を離れず、一緒になることができないというのだ。

日常ではなかなか本心と邪心の葛藤を感じることは少ないです。しかし、上述のように極限状況におかれた時、その人の本質が試されるのです。


あなたはどうでしょうか。

だれしも持つこの矛盾性…


これがある限り、人間は本当の幸せからは程遠いものとならざるを得ません。



では


人間の「心からの幸せ」というものはどういう時にかんじるのでしょうか?



皆さんはこういう経験をしたことはないですか?



何かの為に

誰かの為に

自分の持てるものを尽くせるだけ尽くして、

目的が達成された時、

喜んでもらった時、

言い知れない満足感と喜びを感じる

それは時を経ても自分の心の中に残って消えない




そうです。


本当の喜びは、何かの為に誰かの為に尽くすこと、「為に生きること」にあるのです!!



〜人間は為に生きあうことで、本心から喜べるような幸福を感じることができる〜


これが統一原理の一つの人間観です。





向かうべきは、善の為に他の為に生きることであります。

邪心と向き合いながらそれを振りほどき、自分の全てを他の為に尽くせる時、人は本当の幸せを手に入れることができます。





これはマジですよ。






人間の本心を信じるということが、どれほど素晴らしいことか。



どんな人でも、たとえみんなから嫌われている人であろうと、殺人鬼であろうと、その人の中に本心があると信じている限り、あきらめないんです!




人間だれしも必ず分かりあえる!!みんなが幸せに暮らせる社会が実現する!!




それは人間の本心があることを信じているからなんです。



全てが喜びです。

朝起きた時、誰かの為に今日を生きれるという喜びを感じ、

ご飯を食べている時も誰かの為に生きるエネルギーとするために、

勉強も社会をよりよくし、困っている人を助けるために、

人と話すのも、相手を喜ばすために

笑顔はみる人を癒すために

その行動の一つ一つが為に生きたい思いで溢れている

生まれてきたときから、生きて、死ぬときまで、誰かのためになっていたら、どんなに素晴らしい人生でしょうか。




しかし、邪心がある限り、困難も生じます。


自分の邪心と戦わなければいけません。

自分の自己中心性は、見つめれば、自分の言葉・行動の端々から見つけられます。


「誰かに自分を認めてほしい心」「自己顕示欲」「自己を正当化したくなる思い」「傷つくことを恐れる思い」「ねたみ」「あるがままの自分を出せない」…などなど挙げればきりがないです。



統一原理はこういう心の性質のことを堕落性本性と言います。

人間が歴史をかけて積りに積った汚い垢みたいなものです。(堕落性を脱いでいく原理も統一原理では述べています。それはまたの機会に…)



そこと向き合って、乗り越えて為に生きることを通して、堕落性から解き放たれ、本心のままに生きれればどんなに幸せな人生を送れるでしょうか!


そのような個人が家庭を作り、社会を作り、国を、世界を築いていけば、どれほど幸せな世界となっているでしょうか。



CARPはそういった本来の自分の姿、本来の世界の姿を夢見ながら、活動に燃えています!!



今日の結論は
本当の幸せは自分の堕落性を脱ぎ去り、本心のままに為に生きる人間になること

ということでした。





久々にまじめなことを書いて満身創痍なpazuでした ヒーヒー






※これはまだ序論のさらに序論、「序々論」的なところです。
説明不足な部分も多いですし、納得いかない方もおられたかと…。ほんの一部分ですので悪しからず


posted by 山口大学CARP at 22:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 統一原理について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いいですね〜。こういう話大好きです。恐らくみんなウスウスはこういったことを感じながらも曖昧にして生きているんでしょうね・・・。一時の簡単に得られる喜びを追い求めて・・・。
Posted by kendy at 2011年11月25日 15:07
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